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秋学期、はじまりました。明治大学の「学部間共通総合講座」の一つとしてコーディネーター役をつとめている環境人文学講義もスタート。春学期「ローカル・スタンダードをデザインする」を受けて、今期は社会変革の駆動力となると考えられる「共感」に注目。「インティマシー」をキーワードとして構成しています。
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今週おこなった初回には、たまたま受講者の妹さん(高校2年生)がモグリで来るってことにもなり、急きょ、高校時代の自分のことなんかも話題に。家出したり、学校にも行かず、ジャズ喫茶や偏屈な本屋で過ごしたりしていた日々のこと。ただのわがままでもありましたが、本能的に、レールに乗っかったまま生かされていく状況に拒否反応を示し、「居場所」を探していたのかもしれないなと、思ったり。で、この話をしながら思い至ったのですが、考えれば、インティマシー(いとおしさ)を問うって、自分の居場所を問うことでもあるのかもしれません。毎回のゲストのみなさんにも、その辺のことを聞いてみたいと思っています。
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明治大学 学部間共通総合講座「環境人文学」
コーディネーター : 鞍田 崇(理工学部・准教授)
開講日 : 水曜日/6限(18:00-19:30)
教 室 :駿河台キャンパス リバティタワー1084教室(8階)
*10/19のみ別会場となります。
◆秋学期(環境人文学Ⅱ):インティマシーをデザインする
(趣 旨)
現代社会のひずみを克服し、社会を次のステージへと変革するための道筋を考えるのが「環境人文学」のねらい。人々を社会変革へと誘う駆動力となるもの、それを本講義では「共感」の醸成を促す「インティマシー」という感性に求めます。
現代では、社会にせよ生活にせよ、ともすると他所事・他人事になってしまいがち。それらをあらためてリアルなまなざしのもとに、我が事として取り戻す契機となるのがインティマシーです。辞書的には「親密さ」と訳されますが、むしろ「愛着」あるいは「いとおしさ(愛おしさ・労おしさ)」という方がふさわしい。あたりまえのように見過ごしていた些細な日常を見直すすべともなるものです。
そうした感性を培うにはどうすればよいのか、そもそもインティマシーとは何なのか。ここでは「NORMAL 平凡」「SENSUAL 感性」「LOCAL 風土」「REAL 日常」という四つの視点から、工芸、建築、音楽、地域社会、デザイン、アートなど、具体的な表現活動に携わる方々とともに考えます。
(内 容)
□ 9月21日
- いまなぜインティマシーか
- 理工学部・准教授
- 鞍田 崇
シリーズ初回にあたり、コーディネーターより、講座の概要、成績評価方法等を説明します。インティマシーは「いとおしさ」の訳語と考えています。いまでは「愛しさ」と表記されますが、古くは「労し」と表記されていました。かわいいとか愛らしいという以前に、つらい、かわいそうということが第一義にあったからです。そこには、地域であれ物や人であれ、限りあるもののかえがえのなさに対する深い理解があり、それゆえにギュッと抱きしめ守りたくなる感覚がひそんでいます。この講義で注目したいのは、そうした意味での「いとおしさ」=インティマシーについてです。
□ 9月28日
- 【NORMAL 平凡 ①】機能と作用
- Roundabout/OUTBOUND・オーナー
- 小林 和人
あたりまえのものに向けられる「インティマシー」のメイン舞台は平凡な日常の世界ですが、そのリアリティがゆらいでいます。なぜでしょうか。ここでは身近な道具に注目します。道具には具体的な機能以外にも、気持ちが安らぐなどの精神作用があります。主観的になりがちなこのはたらきについて、共有できる言葉を探しつつ、平凡な日常の平凡なリアルの所在を考えてみます。
□ 10月5日
- 【NORMAL 平凡 ②】そこに在るもの
- 陶作家・多摩美術大学・教授
- 尹 煕倉
「ありふれたもの」が実は「特別なもの」であるかもしれません。たとえば、どこでにでもある砂や土。それらは実はそれぞれの土地に固有なものたちでもあります。砂、土、石、粘土等の土石類を様々な温度で焼いて色を変え、砕いて作った鉱物顔料で絵画を描く。大阪の淀川、ロンドンのテムズ川、パリのセーヌ川で採集した砂で描く比較風土論的な絵画表現「Sand River Works ―砂の流れ」についてと、そこに至るまでの表現活動について論じます。
□ 10月12日
- 【NORMAL 平凡 ③】素であること
- 書家
- 華雪
ありふれたものを「ありふれたままに」見出すことは簡単なことではありません。何より頭はすでに知識でいっぱい。それをどう取っ払うか。たとえば、ジョン・レノンはソロ活動を「裸」の写真で始めました。スティーブ・ジョブズは学生に「馬鹿」になることを求めました。いずれも挑発的・反抗的な態度から素の原点に立ち返るふるまい。手書きの習慣が衰えた現代の私たちにとって、「書」は、じつはそういう存在ではないかと思うのです。見失った自分自身を発見する営み。そんな風にもいえる華雪さんの書には、とりわけ慣習を離れてでも貫く姿勢が軸となっています。平凡の〆に考えたいのはそういうものです。
□ 10月19日 *別会場での開催
- 【SENSUAL 感性 ①】見えないものと見えるもの
- 美術家・金沢美術工芸大学・教授
- 河口 龍夫
二つ目のテーマは「感性」です。そもそも感じるとはどういうことか、体感、体験の意味は何か。そうした点にフォーカスしている3人のクリエイターの仕事を通して考えます。一人目は美術家の河口龍夫さん。「いとおしさ」などの感情をテーマとすることはいっさいなく、きわめて理知的なコンセプトから実験的・前衛的な試みが展開されているにもかかわらず、彼の作品は、見るものの情動を激しく揺さぶるものでもあります。そもそもアートと感情とはどういう関係にあるのか。そうした点を考えます。
□ 10月26日
- 【SENSUAL 感性 ②】インティマシーという作品に託したもの
- アーティスト
- 林 智子
林智子さんはかつて「インティマシー」というタイトルの作品を手がけたことがあります。科学技術が発達し、いつでもどこでも誰かと「つながれる」ようになった今、インティマシーとは何か?という問いかけがそこにはありました。インティマシーを形成するにあたって必要である感性と共感の重要性を念頭におきつつ、テクノロジーと五感体験を用いた自身の作品群を手がかりに考察します。
□ 11月2日
- 【SENSUAL 感性 ③】はじまりのデザイン
- クリエイティブ・ディレクター・graf・代表
- 服部 滋樹
赤くて丸くて、秋になると実るもの。そう聞いたとき、多くの人がリンゴを連想するでしょう。でも、リンゴのおいしさは先のフレーズからは蘇ってきません。それを蘇らすことが、デザインの仕事です。客観的で一般的な説明ではなく、一見主観的で意味がないと思われる経験の中に、もっとも大切な創造の種は潜んでいます。デザイン集団grafの代表をつとめる服部滋樹さんは、そんな経験をつかみ出す名手。近年は各地のブランディングも手掛ける彼とともに、デザインと感性の関係を考えます。
□ 11月9日
- 【LOCAL 風土 ①】アートプロジェクトという触媒
- NPO法人inVisible・マネージング・ディレクター
- 林 暁甫
三つめは「風土」。あたりまえの日常を体感する「場」への取り組みがテーマ。製造業の衰退につづき、人口減少期を迎えた日本の地域社会の在り方を念頭におきつつ考えていきます。近年、国内の様々な地域で行われているアートプロジェクトは、プロジェクトのプロセスを通じて人と人をつなぎ、地域内に新たな関係性をつくりだすと同時に、個々人が持つ想像力・寛容性・好奇心を育み、一人ひとりの精神的な成長を促しています。ここでは、様々なものをつなぎあわせ新たな価値をつくりだす、アートプロジェクトの「触媒」としての可能性について考察します。
□ 11月16日
- 【LOCAL 風土 ②】Xキャンプという試み
- 建築家・応用芸術研究所・所長
- 片木 孝治
「産×官×学(大学)×民」を「産×官×学(学生)×民(地域)」で結び直した『Xキャンプ』プロジェクトは、任意の大学/学部/学科の学生が地域に「キャンプ」し、其々の「学び」を活かした活動を行なうものです。この場(活動&地域)で起こる関係性やアウトプットに想定される「解」はありません。むしろその「未知なる可能性」へ向けた取り組み。ここでは、その活動の経過と成果、そして未来について紹介し、協働の基盤をどのように形成していくべきかという課題について、具体的な地域づくりの事例をもとに考えます。
□ 11月23日
- 【LOCAL 風土 ③】OCICA~石巻 牡鹿半島 小さな漁村のものづくり
- つむぎや・代表
- 友廣 裕一
地域社会への取り組みは東日本大震災を契機に大きく変わりました。OCICAはその象徴的な活動のひとつ。震災のあと、被災地域に多数生息する”鹿”の未利用資源を活用して、地元で漁業に携わってきた女性たちと一緒にはじめたこのプロジェクトは、物語を受け渡すように人の縁を広げ、少量生産でありながら国内外に展開してきました。その試みの実際から、人口減少期に入ったこれからの日本において、地域社会で濃密に生きる姿を考える手がかりを探ります。
□ 11月30日
- 【LOCAL 風土 ④】工場の祭典~地域コミュニティにおけるオープンファクトリーによる効果
- 「燕三条 工場の祭典」実行委員会・委員長・玉川堂・番頭
- 山田 立
すでに生産拠点を海外へとすっかり移転しきった感のある日本の製造業ですが、長年ものづくりを担ってきた各地で、いま新しい動きが起こりつつあります。これまでは舞台裏として公開されることのなかった工場の開放、オープンファクトリーはそのひとつ。成功例の代表が新潟県燕三条エリアで2013年から行われてきた「工場(こうば)の祭典」です。何が成功の要因だったのか、そもそも何を目指す企画なのかとともに、「つくること」のこれからを考えます。
□ 12月7日
- 【REAL 日常 ①】日を奏でる
- アコーディオン奏者・mama!milk
- 生駒 祐子
最後のテーマ「日常」は、四つのふるまいから考察します。はじめに取り上げる「奏でる」はおしまいの「聴く」と対をなすもの。聴くの反対は通常「語る」ですが、あえて。奏でるは、語りにつきない豊かさを有し、むしろ歌うに近い。さらにいえば、打つ、叩く、鳴らすなど関係する多くのふるまいは、言葉以前の衝動的なものであり、身振りや手振り、舞や踊りと一体となるものでもあります。日常に耳を澄まし、身体の底から沸き起こる情動に身をゆだねる。日常という場から紡ぎだされるインティマシーはそんなふうに認識され、育まれるものではないかと思うのです。
□ 12月14日
- 【REAL 日常 ②】日を績む
- 渡し舟・昭和村からむし生産技術保存協会・事務局
- 舟木 由貴子
二つ目のふるまいは「績む」。いまもなお人の手で糸を績む試みを手がけている人たちがいます。舞台は福島県・奥会津の昭和村、主役は“からむし”という植物。この植物をきっかけに、同村へ移住した女性たちがいます。彼女たちは畑で土を耕すことから始まり、“からむし”を育て繊維を取り出し、布を織りあげるまでの一連の工程を学ぶとともに、人間本来の生き方を学ぶことになったといいます。その背景にある気持ちや態度の変化を実際の体験を交えながらうかがいつつ、糸を績むように、ものづくりと一体となった日々の暮らしの現代的意義を考えます。
□ 12月21日
- 【REAL 日常 ③】日を培う
- 建築家・o+h
- 大西 麻貴
三つめは「培う」。日常とはたえざる時間の経過の中にあります。何がしか目的を実現したからといって、それで終わることはありません。そこからさらに別の目的をめざすことにもなるでしょうが、それとともに大切なのは、実現した成果を育むこと。たとえば、住宅は完成したら終わりではない。むしろそこからが始まりで、子供が増えたり、仕事が変わったり、様々な人生のステージにあわせて手をかけ、手を出し、培っていくものでしょう。ただ美しいだけの建築ではなく、「愛される建築」を基本コンセプトとしてきた、建築家の大西麻貴さんの仕事を手がかりに考えます。
□ 1月11日
- 【REAL 日常 ④ / 総括】日を聴く
- 理工学部・准教授
- 鞍田 崇
本講義の総括として「聴く」というふるまいに注目します。社会の中で私たちはおうおうにして語ることを求められがちですが、あらためて日常と向かいあう際に大事になるのは、「私は、私は」と語ることではなく、まず聞くこと、聴くこと。言い換えると、語るべき人が語るべき時に語るべき場を設けようとすることです。たとえば、すでに15年近くになる臨床哲学の試みはまさに「聴くことの力」を哲学の新しい役割として切り開くものでした。そうした事例を手がかりとしつつ、環境人文学における日常の意味について考えます。これが本講義全体の総括ともなります。
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Photo: 明治大学生田キャンパス第二校舎2号館 天窓外壁(堀口捨己設計、1965)